しかし、この結果はあまりにも不合理に思える。私がいかに苦労して金を貯め(貯めてないが)、勇気を絞って声をかけ(かけてないが)、笑顔に報われたとしても(報われてないが)、民法はそれを無効だというのである。明らかに win - win 関係の破壊である。こんな理不尽な規定があっていいのだろうか。
私が憤って友人のT氏に疑問をぶつけると、彼は恐ろしく真面目な顔で六法を取り出した(彼は司法修習生である)。そしてしばらくの後、
T氏「そんな規定どこにあるの? 何条?」
私「何条……? いやわからんけども。でも、テキストのここ、無効って」
T氏「条文じゃないんでしょ? 条文なら『なんて理不尽な規定だ』って憤るのも分かるけど、そんなの学者のやってる推理ゲームだからなあ」
T氏の話をまとめると、以下の通りだった。
1. 契約は意思表示と意思表示の合致により生ずる
2. 意思無能力者のした行為には「意思表示」がない
→片方の意思表示が欠ける以上、契約は生じない
∴契約は無効である
ぐぬぬと言うほかない。
その後しばらく彼と「法律って半分国語で半分数学なのよね」というあるあるトークをした後、私なりに適切な例を考えたので以下に記す。
(以下では数学における累乗を「2の3乗」→「2^3」というように表記する)
あらゆる数の0乗は、1である。
これは高校数学で指数関数を学ぶ時に教わる話だが、「ある数の0乗が1である」とは一体なんのことなのか。
「2の3乗」が「2を3回掛け合わせること(=2×2×2)」だと言うならば「0回掛け合わせる」とはまったく意味不明な言葉である。
しかし、このことは次のように説明可能である。
2^1=2
2^2=4
2^3=8
というような場合、これを逆から読めば、
2^3=8
2^2=4
2^1=2
というように、指数の値が1減るごとに、底(=2)で次々に割っていけばよい。したがって3乗、2乗、1乗の次に、0乗を考えることができるのである。
2^3=8
2^2=4
2^1=2
2^0=1
(この後さらに-1乗、-2乗も同じように考えることができる)
何が言いたいかというと「現実にはありえないような話であっても、理屈上はこうなる」という話はどの分野にもあるのだなあということである。
(実際、意思無能力を理由に契約の無効を主張できるのは贈与を受けた幼女サイドにのみ認められていることであり、私が無効を主張することはできない。得をした幼女が無効を主張するとは思えない。いらなきゃ捨てればいいのである)