あるていどらくにいきたい

生きづらいぼくたちが
なんとか生きていけますように

2014-09-10

僕が欲しいのは祝福でも,合格でも,得点でも,実力でもない


昨日は司法試験の合格発表日でした。

たまたま司法修習生のT氏と夕飯の予定があり,途中,T氏の携帯電話が何度か鳴りました。T氏が電話で,おめでとう,おめでとうと祝福していました。僕も心の中で祝福しました(お酒を飲んでいたので「おめでとうございます!来年は僕の番です」と言おうかとも思いましたが,やめといて本当によかったです)

そして電話で話しているのを聞いていて「自分も祝福されたい」と思いました。ただ,僕はそのとき暇でしたから(T氏は電話中なので),本当に自分が祝福されたいのか,考えてみました。


本当に?
もちろん,祝福されたいといっても「ハイ,あなたを祝福します。おめでとう!と言われたいわけではないのです。神的な存在を熱心に信じている人に捕まえられて「あなたは救われた!おめでとう!」と言われたいわけではありません。合格したいのです。

僕は合格したいのでしょうか?

もちろん,合格したいといっても「ハイ,あなたは合格です。合格点にはぜんぜん足りないけどね。毎年抽選で1人合格してるから」とわけもなく合格したいわけではありません。合格に必要な点数をきちんと取りたい,ということです。

僕は合格点が取りたいのでしょうか?

もちろん,合格に必要な点数といっても,鉛筆を転がし転がし,たまたまそれが全問正解してしまって,記述式ではたまたま覚えていた唯一のパターンが出て合格点が取れる,というのでは嬉しくありません。合格に必要な実力が欲しいのです。

僕は実力が欲しいのでしょうか?

もちろん,合格に必要な実力といっても,人体改造を受けて,明日目が覚めたら「あれ,なんだかわからないけど必要な知識がみんな頭に入ってる!」となりたいのではありません。合格に必要な努力をして,努力が実力となり,得点力となって,合格点を取り,合格し,祝福されたいのです。

松本先生の「結果が全てです」という言葉には心底共感していたつもりだったのですが,意外にも感情的なところでは経過も考えてしまうのだあ,と思いました。

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なんだかセンチメンタルなことを書いてしまいましたが,やはり合格発表というのは他人をも巻き込んでセンチメンタルな気持ちにさせてしまう魔力があるのだと思います。たぶん司法書士試験の合格発表にあっても(今年は商業登記法記述何も書いてないので望みゼロですが),やはり何かしらセンチメンタルなことを書いてしまうと思います。

ちなみに僕は司法試験の受験生ブログもいくつか読んでいるのですが,そこでは2人の方が合格を報告していました。なんか感動しました。なんか感動したのですけど,アメブロってアカウントないとコメントできないらしいのですよ。

しょうがないので一人でしみじみ感動しました。感動。
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