国家難関資格たる司法書士試験を目指すみなさんにあっては,試験を終え,休息を終え,「反省」に目の行く時期かと思います。先日ライジングサン先生も反省の重要性を語っていました。
本試験後の過ごし方(7月~9月) | 司法書士試験『ミニマムリピート』合格法
時間はありますので、本格的に学習を再開する前に ゆっくりと自分を見つめ直してみて下さい。 上記分析から、自身の弱点が見えてきたら、 弱点を補強して合格に結びつく勉強法を具体的に考えていきましょう ... |
そこでぼくも反省します。せっかくなので記事にします。
「勉強期間18ヶ月で不合格へと至ったぼくから,これから勉強をはじめるぼくへのアドバイス」,略して 【ぼくぼくアドバイス】の連載を始めます。今回は各論の前提です。
方法論オタクなぼくの方法論談義
ぼくは方法論オタクです。ハウツー本が気になっちゃうタイプです。自分自身,いろいろなものに方法論を持っています。
この一年半,数多くの「司法書士試験ハウツー本」を読んでしまいました。そして「勉強法ハウツー本」も読んでしまいました(ミーハーみたいでお恥ずかしいです)。そしてその多くをできるだけ取り入れるようにしてきました──結局ぼくは
誤解しないでいただきたいのですが,ぼくは方法論を否定しません。積極的に肯定します。しかし方法論というのは「誰にでも(そこそこ)役立つ」ものですが,「誰にでも(そこそこ)役立つ」ことより,「(ほかの誰に役立つかはわかないけど,少なくとも)ぼくに役立つ」ほうが,いまの引っ張られて伸びまくったぼくにはいいんです。
受験界に横たわる「問題集vsテキスト」論争
わかりやすい話として,「問題集(過去問を含む)vsテキスト」論争を例にします。
テキスト主義として,松本先生の『司法書士5ヶ月合格法』,過去問主義として,柴田先生の『司法書士7ヶ月合格法』があります。
当時ぼくは「問題集主義はダメよ。テキスト主義よ。だって(最近合格したノリノリの)松本先生もテキスト主義じゃん」みたいなことを思っていました。
そこで当時の自分に反駁させてください。
ぼくたちは「外」から「ある受験者が,テキスト主義を採用したことで,合格した」ことをわかり得ません。わかるのは「ある合格者が,テキスト主義を自称している」ことだけです。
この合格者が「問題集主義では合格できなかった」ことは検証できません。「最終年度に問題集主義からテキスト主義にかえたら,合格できた」としても,最終年度にそのまま過去問主義で勉強して合格できなかったかは,検証できません。
ぼくはテキスト主義を批判したいのではありません。ぼくも(どちらかといえば)テキスト主義です。
そうではなくて,「テキスト主義 『vs』問題集主義」という 「どちらかが正しく,どちらかが誤り」の構図が愚問だと言いたいのです。
好きにしたらいい。
自分の覚えやすいほう,自分のストレスの少なくすむほうでやったらいい。
自分のやる気がアップして,不思議と楽しい気持ちになって,前向きにやっていけるほうでやったらいい。
「勉強論」は,雑談だよ。コミュニケーションツールだよ。
「効率」って,「『結果』を『時間』で割ったもの」のことですよね(「時間」と「効率」をかけると「結果」ってよく聞きますもんね)。
ということは,「結果」が出てからでないと,「効率」は計算できません(なお,ぼくたちにとっての「結果」とは,「論点を覚えること」でも「模試で高得点を出すこと」でもありません。ただ「合格すること」という,1か0かでしか測れないものです)。
したがってぼくたちが目にする「効率的に合格する(した)方法」は,「その合格者」にとっての効率的な方法であり,譲歩したとしても「合格者たちの多くに効率的な方法」でしかありえません。
表現され提供されている「効率的な方法」は,ぼくたち未合格者にとっての効率を保証するものではなく,せいぜい「効率的でありえる方法のリストの一部」にすぎません。
だから,方法論について,良いとか悪いとか,客観的っぽい話をするのは,予備校のセールストークや居酒屋でのコミュニケーションツールやブログネタとしてしか役立つ程度だと思うんですよ。
もちろん,これらはどれも大切なものです。予備校は受講生を呼ぶのが仕事です。孤独な受験生活において共通の話題は心が休まります。ぼくはブログを書いています。
「効率」の良し悪しを論じることは,楽しいことです。なにかしら理屈をつけて,◯◯法の合理性を主張してみせることは,楽しいことです。ちょっと政治について語ってみたり,ちょっと仕事論について語ってみたりするのに似ています。
だから,ネタ程度に,たしなむ程度に,楽しむ程度に理屈コネコネしてればいいと思うんです。
【ぼくぼくアドバイス】は,ぼくのための方法論
ぼくは「『誰か』の方法論」に振り回されてきました。
その結果おろそかにしたのは「自分の肌感覚」です。どの方法で行うのが一番気持ちがいいのか,一番ストレスフリーなのか,相性が良いのか,そういう「理屈としては通らないけど,そうなんだから仕方ないじゃん!」な部分をだいぶないがしろにしてきました。
これが,反省点です。
したがって,ぼくのぼくへの最初のアドバイスは,
「『誰か』の方法論」を気にするのは,やめましょう。
かわりに, 肌感覚(と自分自身の行動実績)を重視しましょう。
「合格へと至る自分の方法論」を作るほうに注力しましょう。とびっきりの方法論を携えた合格者や講師は,効率的な方法論を採用したから合格したのではありません。自分で強力な方法論を作り上げるというプロセスを経ることができたから,「方法論を提供する合格者」として君臨しています。
【ぼくぼくアドバイス】は,ぼくのための方法論(再掲)
そこでタイトルの解題ですが,これはあくまでも「勉強をはじめるまえのぼく」に向けたアドバイスだということです。
世間に妥当するかはわかりません。モニタごしの「あなた」に妥当するのかはもっとわかりません。ぼくたちは,これまでの人生経験も,考えかたも感じかたも違います。
人によります。
ぼくの方法論は「正しい」かどうかわかりません。
ぼくは単純に(できれば楽しく)自分が合格できればいいのであって,その正当性や合理性にこだわりはありません。効率だってどうでもいいのです。合格すればいいのです。
誤解しないでいただきたいのですが,ぼくは「効率を追求しているひと」を批判したいのではありません。ぼくはあくまでも「勉強をはじめるまえのぼく」に対してアドバイスしています。
ぼくは「ひとそれぞれである」と考えています。
そしてそれより強く,「人それぞれだと考えるか,唯一解が存在すると考えるか」についても,みんな自由にしたらいいと考えています。唯一解があると主張したいかたは,主張したらいいと思います。そういうひとの首を掴んで「お前らは,間違ってる!ひとそれぞれなんだ!!」と言いたいわけではないのですよ。
そういうわけで,これからしばらく,ぼくのこれまでの学習を振り返って,ああした,こうした,ああしよう,こうしようとコネコネ連載していきます。
後続記事:【ぼくぼくアドバイス②】司法書士試験に役立った勉強法の本を全部挙げます。勉強の進め方に困ってるなら全部読んで選べばいいと思います。
誰のためでもないといいつつ書いちゃうのは,自分に向けて書くものこそ,形式をきちんと整えれば誰かに役立ちうると考えているからなんですね。
「相手をどうにかしてやろう」「論破してやろう」みたいな言説は,どうにも苦手です。ぼくは社会科のディベートとかが得意な子供でしたから,なんかそういうのが虚しいのです。弱論でも強弁すれば勝ちます。そういうのは,まあわかりませんが,法廷とかなんかそういうところでだけやればいいやと思っています。いまは多様性が許される社会で本当によかったです。