国家難関資格たる司法書士試験を目指すみなさん……!!
ぼくたちはきっと合格しますよね。
そのためにいま相当な何かを費やしています。途方もない何かをつぎ込んでいます。
しかし,ぼくはなるべくなにも犠牲にせぬよう心がけています。
ぼくは未来を言いわけに今を犠牲にしたくない。
過去を言いわけに今を犠牲にしたくない。
未来のせいにも過去のせいにもしたくない。
ぼくは
いくつかの物事に共通する行為を認めるなら,一方を通して習熟したその行為が,他方においても発揮されます。たとえばちょうど,キャベツを素早く切るための練習を通して,大根をも素早く切ることができるようになる,といったように。
職業人としても友人のひとりとしても,もちろん「自分自身の満足」からも,あらゆる側面からみて
だからぼくは「永遠に続いても良いと思う受験生活に限りなく漸近する」ことを応用していきたい──「永遠に続いても良いと思う職業人生活に限りなく漸近する」「永遠に続いても良いと思う友人たちのひとりとしての役割に限りなく漸近する」「永遠に続いても良いと思う家庭人に限りなく漸近する」。
ここには「将来を "目的" として今を "手段" に貶める」という発想がありません。
「今を "苦役" として割り切るためにかりそめの "ご褒美" を夢想する」という発想がありません。
- 試験に合格するという目標があるのだから,いまはイヤでもしかたない。
- 独立するという目標があるのだから,支店を出すという目標があるのだから。
- 結婚するという目標があるのだから,養育費を稼ぐという目標があるのだから。
- 老後の生活という目標があるのだから,孫の……。
「将来を通して今を見る」のではなく「今を通して将来を見る」。
「将来から出発する」のではなく「今から出発する」。
ゴールから逆算せよ,と人々は言います。ぼくは手放しに賛成します。その通りだと思います。
そして付け加えたい。
“今” を満たす努力をせよ。
将来は “今” と地続きである。
受験生活には人生の色々な要素が詰まっている。
先の見えない不安。努力と結果の間の暗い溝。目標のための行動と試行錯誤。意外とある楽しい出来事。
「受験と人生は別物」と言い切るのは簡単だけど,ここに類似性を見るなら(結果だけでなく)受験生活という経過もまた人生に役立てることができる。
— 庄司康晴@司法書士試験 (@SHOJIYasuharu) 2015, 12月 11
たまにはポエムを書いてみました。
ちなみに,じゃあぼくにとってそれがどういう状態なのかというと……勉強をして,走って,勉強をして,息抜きをして,勉強をして,疲れた,ああもう勉強できねえ,今日はよく頑張った,我ながら偉い,確実にあれとこれとそれは合格に近づく勉強だったと思いながら,誰かとご飯でも食べて,倒れるように寝ることです。難しいですけどね。
もちろんこれは「気の持ちかたによっては勉強だって苦しくない」だとか「結果よりも過程が大事」だとか,ましてや「いまが良ければ合格しなくてもいい」「毎日おひさまに感謝する」といった態度とはまったく違います。それらを否定するつもりはないし反対の態度でもありませんけど,別な話題についての態度です。
@SHOJIYasuharuさんをフォロー